のらのらのぶらぶら日記

おしゃべり大好きな都内理系女子大生が日々の出来事をつづっていきます

読書感想文に物申す! と 松本清張「砂の器」を読んで その1(作中の地名、方言から)

一日一ブログ、ということで更新。

 

大学の遅めの夏休みに読書をしていたのですが、その中で印象に残ったのが、名著「砂の器」。

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昨日読書感想文苦手って言ってたじゃん笑!ですが、強制されない自由な読書だと、自然と誰かに感想を話したくなっちゃうんですよね~おしゃべり好きの性。

 

 学校の読書感想文って、いじめとか戦争とか、決まって倫理観とか正義感を問うものを課題図書にしてくるじゃないですか。情操教育の一環として、それは不可欠なものであることは全く以て賛成するところなのですが、書く子ども側からしたら「またそれかよ!」って感じなんですよね。義務教育の9年間、下手したら高校の3年を足した12年間読書感想文はついて回るのですが、それが毎度毎度生と死、人類の平和をテーマにして数千字書きなさいだから、もうほんと、たまらんのです。

小学校高学年にもなってくると、この感想文はどういうことを子どもに書いてほしいか分かってきます。「今まで知らなかったけど、この本を読んでびっくりした」「信じられなくて涙が止まらなかった」「命の尊さと、主人公を思う母の愛に感動した」なんて、自分の持ってるボキャブラリーを総動員して驚きと悲しみ、そして感動の描写をするわけです笑 

それを毎年、下手したら毎季節むりやり課される子どもからしたら、ほんともうネタ切れ状態ですよね。ばっくれることも可能だったのでしょうが、変にまじめな私はうんうん言いながら毎夏8月31日に作文用紙に駄文を書き殴っていました。

 

あとやっかいなのが、感想文って本を分析すればいいわけじゃないんですよね。いかに自分が感じたか、を述べるんです。論文だとひとつの物事を複数の視点から考察分析しますよね。でも感想文だと、一学生の自分の感情がすべて。変に知識を振りかざすんじゃなくて、素直な感情を著す。つまり、感受性が豊かなもん勝ちなんです。その割には、期待される感想の幅はそんなに広くない。次第に「戦争→よくない」「いじめ→よくない」「家族→大切に」こういったテンプレートが生まれてきます。

 

もちろん、それら自体はとっても大切で一つの真理だと思うのですが、問題はなんでそれがダメなのか、あまり消化できていないまま、その絶対的事実を強制されてきたことにあるんじゃないでしょうか。あんまでっかいことは言うつもりはないですけど、今の読書感想文にはその大人たちの押し付けが感じられます。

その紋切り型的な感じに辟易しながらも、いい子だと言われたくて、予定調和の模範解答を感受性たっぷりに書いちゃう子ども時代でした。

 

さてさて、読書感想文の文句はそれぐらいにして。。。

砂の器は大家松本清張氏の作品の中でも代表作と言われる1960年代の作品で、これまで映画化1回、ドラマ化5回のモンスター作品です。

私の砂の器のファーストコンタクトと言えば、2004年版の中居くん主演の回。当時小学生だった私は、あのおどろおどろしい殺害現場シーン、中居くんのいつもと異なる陰鬱な表情、そしてドリカムの主題歌「やさしいキスをして」のもの悲しいメロディーにぐっと来たのですが、いかんせんこわくてこわくて笑、見続けることが出来ませんでした。

そして時は流れ2015年、小学生は大学生になり、再びこの作品に出合います。

個人的に方言学に興味があり、奈良県十津川村に存在した関東圏イントネーションについて調べていた矢先(これもすごく興味深いので、また書けたらいいな)、あるまとめサイトの『砂の器の作中にも、異なる地域で同じような方言が話されることがトリックとして出てくる』という情報を発見。これはおもしろそう!見るしかない!前から気になってたし!ということで購入し、上下巻をむさぼるようにして読んだのでした。

 

感想としましては「なんだこの名著!もっとはやく読んでおけばよかった…!」でした笑

1960年代の推理物で、50年以上前の作品なので、読んでて違和感とか生まれないかなと心配していたのですが、そんなことは全くなく、むしろ60年代のすすけた東京の雰囲気とか、犯人を追う今西警部と人々のやりとりが新鮮でした。

私は地方出身で、大学進学と共に上京してきたのですが、作中に出てくる東京の各地の描かれ方がおもしろかったです。蒲田は昔も労働者の町だったんだなーとか、警部さんたちも渋谷で飲むんだ!当時の渋谷はもっとごちゃごちゃしてたのかなあとか、当時も学生の町・お茶の水、本郷!とか、ここで出てくるか埼玉は川口!志村坂上!笑みたいな。いまでこそベッドタウンの両町も、当時は田んぼだらけで、東京大都市圏拡大の最中だったのかなあなんて想像がふくらんでいきます。

地方出身在京者あるあるだと思いますが、生え抜きの都民とかよりも東京の地名や駅名、観光地に詳しくなっちゃうんですよね笑

テレビの中で見聞きしてたあこがれの地名たちが、実際に自分の身体スケールで再編成されていく感覚…わあ~表参道と原宿、渋谷ってこんなに近いんだ!と日本屈指のおしゃれスポットに感激したり、お茶の水と神保町と水道橋、後楽園が一か所に集中している、東京の街の規模の大きさに驚いたり…。だってすごいですよね、日本一の本の町のとなりに日本一の楽器街があって、そのまたとなりには日本一のドームが鎮座している。田舎者からしたら、どんだけコンテンツ持ってるんじゃ!って感じですよほんと。そうやって東京各地の点が線でつながっていく感覚が、上京したての頃も、そして今もたまらなく楽しいんです。

はっ、大きく脱線してしまった。。。

まあとにかく、砂の器からはジェネレーションギャップを感じるどころか、むしろその違いに引き込まれた、ということでした。

 

砂の器は当時「カメダ」「電子音」「出自」の3本柱を物語のウリにしていたのですが、この「カメダ」が私がこの本を手に取るきっかけになった方言トリックのキーワードとなっていきます。あまり積極的にネタバレしていくつもりはないのですが、このトリックは民俗学者柳田國男の「方言周圏論」に基づきます。

wikipediaには

方言のなどの要素が文化的中心地から同心円状に分布する場合、外側にあるより古い形から内側にあるより新しい形へ順次変化したと推定するもの。見方を変えると、一つの形は同心円の中心地から周辺に向かって伝播したとする。柳田國男が自著『蝸牛考』(かぎゅうこう、刀江書院1930年)において提唱し、命名した。

 とあり、つまりは遠く離れた土地の方言でも、同心円の中心(この場合京都かな)からの距離によっては、似たような言語形態がみられる可能性がある、ということなんですね~。この作品においては、東北のズーズー弁と似たような方言が出雲の一地域にみられることが使われています。へー!山陰の一地域にはそんな言語形態があるんですね!

私は四国の出身で、中国地方の山陽のほうは方言が似ているなーと親近感を覚えていたんですが、山陰のほうはだいぶ様子が違うみたいですね。

今度の休みにぜひ行ってみたい…!生の方言、聞いてみたい!

作中でもこの論説にはふれられているのですが、きちんと当時の様々な学説を提示していたり、方言分布図を掲載していたりととてもしっかりしていました。

調べてみると、このアイデアは作者自身が山陰に旅行した際、現地の人の言葉づかいがズーズー弁に似ていたことから着想を得たものだそうです。こういった日常の小さな発見からトリックを思いつき、作品に結び付けていく姿勢は素敵だなあ。

そういえば、作中の主人公今西警部も、日常のふと読んだ新聞記事などからトリックを解明していくスタイルでした。ご都合主義、と言ってしまえばそれまでなのですが、松本さんのアイデア集めの姿とどこか似ていて、やっぱり作者と主人公には共通するものがあるんだなあと思いました。

 

ってもう3000字とっくに超えてしまった!大学のレポートも、こんな感じでサクサク書けたらいいのに…涙

次回は、この作品で最大のハイライトである、犯人の出自について書けたらなあと思います。それでは~

思い立ったが吉日

 はじめまして(?)という表現が適切なのかわかりませんが、

はじめまして、エビぎょうざと申します。

 前略プロフmixi全盛期に思春期を過ごしたにもかかわらず一切手を付けてこなかった(というか知らなかった)私ですが、今回、思い立ったが吉日ということでブログを始めてみました!!! わ――――!!!

 

 おしゃべりや人のお話を聞くことは大好きなのに、文章を書くことにはどこか苦手意識がありました。起承転結がちぐはぐだったり、話がやたら冗長だったり笑。毎年の読書感想文とかめちゃくちゃ苦痛でした。何を以て良しとするんや…!論点の明確な小論文とかのほうがまだまし!といった感じ。絵日記とかもつづいたためしがありませんでした。

 

 そんな私なのですが、ここ最近楽しい思い出や印象的な出来事が立て続けに出てきて、今この時の気持ちや感覚を忘れたくないとふと思いました。今までの感想文や絵日記はあくまで「強制」的な作業だったのですが、このブログは備忘録というか、思い出を心にとどめておくための意味ある作業なのかな、と。

フェイスブックツイッターはやってるんですが、いいカッコしいで本音を吐露できなかったり、140字の制約からネタ投稿に走ったりと、自分の素直な思いをだーーっと出せる場は持っておらず、なんとなくもんもんとしていました。そういう意味で、ブログってほんとスゴいなと。私にもお気に入りのブロガーさんがいて、たまに覗くたびにめちゃくちゃ笑わせてもらったりしてますが、会ったこともない人たちからここまで躍動感・臨場感を感じたり、エネルギーをもらえるのはおそろしいことだと思います。

 

あとこれは一応公開されていて、私の手帳の中の日記ではなく、いろんな方が目を通す可能性があるもの。こんなイチ女子大生のつぶやきなんて誰が見るんじゃ~ですが、大切な人に手紙を書く気持ちでやっていけたらなと思います。

 

とにかく、目下の目標は続けること!!!絵日記の二の舞にはなりません!笑

ふだんのぺちゃくちゃおしゃべりみたいに、のらのらぶらぶらやっていくぞ~